ペン回しのスタイルについて

ピースの角度はいむぼく度!
お世話なってます。Imbocdです。

 

今回は私の考え?を少しお話できればなと思います。
それは「fsにおいてのスタイル」についてです。
読み手によって抱く考えや価値観などはすべて違い、それらには全部違った良さがあるのでこの記事に対しての皆さんの考えも同時に知りたいです。もちろん批判覚悟です。

 

気をつけますがどうしてもこれから少し高圧的な表現が増えます。
その際に度々特定のスピナー様の名前やスタイルの名称を挙げます。
が私の考えをより分かりやすく具体的にするための挙例なので決して、
そのスピナー様やスタイルを批判したり馬鹿にしている訳ではない事をご理解ください。
⚠←このマークの後に続く表現が特にそうです。

 

【現在までのfsにおいてのスタイル】
今のペン回しにおいての有名なスタイルは
・小技
・大技
・インフィニティ
・両手
などを思い浮かべる。
上記の小技スタイル。
このスタイルが基盤となって時を経ながら発展していくにつれ、
大技、インフィニティ、両手、スタンドアップ
などといった新しいスタイルが順々に生まれ、その中に自分らしさを出す大手スピナーさんが次々と有名になっているのではないか。

 

【現在のfsにおいてのスタイル】

スピナーさんのスキルや手癖は別として

その中で今は、
「スタイルとして確立させれる技」

「スタイルとして確立させるには難しい技」
の2種に分けられていると思う。

 

これは
「新たなスタイルを確立させるべき」
というより
「昔ながらのスタイルで発展させ続けるべき」
といった考えを無意識的にしろ持ってしまっているからなのではないか。

 

いや、この表現には少し語弊がある。
言い方を変えると

 

「昔ながらのスタイルで発展させ続けるべき」
という考えが大きすぎるせいで
「新たなスタイルを確立させるのが困難」
と言ったほうが分かりやすい。

 

日本国内なんかは特に
vpやg-3を使った小技スタイルが多い。これは今や世界における「ジャパニーズスタイル」とも言える。

しかし、この小技スタイルは
ソニック、ノーマル、パス
などといった、スタイルに関係なくペン回しを始めるにおいての基本的な技を多く含む。

 

その安定感や指使いを極めその連続の中に一際目を引く箇所、いわゆる「見せ場」を作り、始動から締めまでの一連の流れを作り出すfsを正式な「スタイル」として貫くのは誇れる素晴らしい文化である。
上記で示した大技スタイルやインフィニティなども元は小技から始まり回し手の進化をとげてfsとしてのスタイルを確立させる。これも感慨深いものだ。

 

【スタイルとして確立する技としない技】
これまでの事を念頭に置いて
ここで私が先程示した
「スタイルとして確立させれる技」

「スタイルとして確立させるには難しい技」
の2つの違いを述べよう。

 

まず1つずつ例を挙げてから考える。
「スタイルとして確立させれる技」
・インフィニティ

「スタイルとして確立させるには難しい技」
・トライアングルパス

この2つから考えを広げていく。

⚠インフィニティは今や完全なスタイルとして確立していて世界大会でもお題で出されるほど。
有名なスピナーさんは
・fukrou氏
・Reamtea氏
など。

トライアングルパスは有名なスピナーさんは
・Gollumsk8氏
・mi氏
などが挙げられる。

 

2つの似ている点は単純な技として考えたとき、
難易度が低いところ。

ただのインフィニティは先端を持って振り回すだけ。
ただのトライアングルパスは指先でちょこちょこ回すだけ。

 

が「系統技」や「似ている技」、
を駆使してfsでのスタイルとして見たとき、
インフィニティとトライアングルパスでは大きな違いがある。

それは
「似た動きをしているか」
である。

 

⚠インフィニティでは
インフィのみならずfukrouさんがよくやってる👌の技やカージオイドバクアラ?などパッと見でペンや腕の動きの変化が分かりやすいものが多い。

対してトライアングルパスは
スクエアパス、デュアルパスなど指先しか動かず回転方向を変えるにしても腕の起伏があまりにも少ない。

 

トライアングルパスなどのこの状態になってしまうとどうなるのか。人によっては
「飽きる」
事がある。

インフィニティだと腕の動きやペンの軌道破壊など見てて衝撃が大きい。

 

 

ここだ。
ここの違いである。

 

 

⚠指先パス系ばかりしていると
「同じような技ばっかしてる」
とよく言われるがこれはインフィニティスタイルにも言えることだ。

ではなぜトラパは認められずインフィニティは認められるのか?

 

それはインフィは腕の動きや軌道破壊で
「似た動きが少ない」からである。

ここで上記と結びつけると

「スタイルとして確立させれる技」

「スタイルとして確立させるには難しい技」

 

「スタイルにした時似た動きが少ない技」

「スタイルにした時似た動きが多い技」
に分けられると思う。

 

美しさも伴うぶん見てて飽きが来ないため多くの人が納得しているスタイル。

 

【なぜ新たなスタイルを確立させるのが困難か】
先程私が述べた
「昔ながらのスタイルで発展させるべき」
という無意識的にしろ執着している概念。
ここにすべてが詰まっているのではないか。

 

特に今の日本では安定感や難易度は別として「指使い」がとても評価される点。
その「指使い」が最も鮮明に表現する事ができるスタイル。
それがジャパニーズスタイル。
「小技スタイル」だ。

 

→「昔ながらのスタイルで発展させる」
→「新規スピナーもそのスタイルで回す」
→「指使いがうまい新規スピナーが評価される」
→「そのスピナーたちを筆頭に回しが浸透していく」
→「昔ながらのスタイルで発展させていく」

 

という連鎖が起こる。

これはもちろん素晴らしい事だが

ここに先程述べたトラパなど、
スタイルにするのが難しい技は見せ場、繋ぎなど要所要所の技として組み込まれる。

これが新たなスタイルを確立させるのが困難となってしまっている事に繋がるのではないか。

 


【最後に】
なぜこの記事を書いたのかというと
まずは私が昔から貫いている指先パススタイルをもっと多くの人に認めてほしいからです。

fsって「フリーなスタイル」でフリースタイルなので上記の事にとらわれず、もっと自由なスタイルをどんどん確立させていく(停止技、ラダー、バランス技、など)と新たな発見が無限に出てくると思うのです。

最後に、これは私の考えを述べているだけなのでこれまでのペン回し文化や記したスピナー様やスタイルを批判するつもりは全くありません。
どうかご理解ください。
これからも私は独自の業を突き詰めていきたいと考えているので

「またやってるよ〜」

とまぁ温かい目で見届けてください😏